豚が10頭いました。主人がその中の1頭に「おまえが皆の隊長になって働きなさい」と言いました。その日から、豚たちは皆、その豚の言うとおりに生きました。数日後に主人が来てみると騒ぎが起こっていました。任務を任された豚がまるで自分は豚でないかのように豚の上に君臨して残りの豚が不便な思いを味わっていました。

隊長の豚は肩書きだけで生きたのです。しかし豚は豚として生きるものです。このように人は人として生きるものです。
人々は相手がどんな肩書きを持っているのかを気にします。自分が持っている肩書きで人の心をつかみます。しかし一国の大統領だとしても、財閥だとしても、その人も同じ人間です。どんな職業に就いていようが人として生きるのです。
肩書は一つの名前にすぎないけれど、その肩書きがすごいものであるかのように考えて、肩書きを主権にして治め、教えます。地位を利用して人々を治めようとすると、人々が嫌がり、反発心を招きかねません。
イエス様の生を見るとごく普通の人として生きていかれました。病んでいる人と貧しい人と共に生きました。
イエス様は今の階級で計算したらとてつもなく高い地位です。しかし、イエス様の外見だけを見ただけでは、誰も、自分を雰囲気や表面的に導くのではなく、根本を解決してくれて自分を救ってくれる人だと考えられませんでした。イエス様はごく普通の人として生きました。自分の肩書きで治めようとはなさらず、誰とでも友達になってあげ、慰めてあげ、心配する人がいたら「私が責任を負う。心配するな」とおっしゃりながら、いつも力を与えてくださいました。親のように、友達のように、恋人のように生きてくださいました。これが人として生きることです。
人を導き治める人ならば、自分が持っている権力と肩書きで治めるのではなく、謙遜な心で奉仕し助けながら、友達、恋人、親になって生きていくのです。人は人としてこのように生きるものです。
「よき師、よき教え」より
