御言葉を教えてくださるチョンミョンソク牧師はイエス様の御言葉を学びながら、イエス様に心を直すことについて、性格を直すことについて、練達を受けたそうです。まずは御言葉で自分の心を直し、良い心に作るようにして、導いてくださったそうです。
ある時は心が刺される苦痛を受けることを知って、それにも打ち勝てるようにイエス様が牧師先生を練達されたこともあった。
保育園に通い始めた私の娘が自分一人で遊ぶ世界から、周りのお友達と接して生きる世界へと入ってきました。
していいことと、悪いことも学んでいる時です。
これ、今日はしていいけど、いつもはしてはいけないことだよ。というなぁなぁな態度だと、子どもはしていいと思ってしまう。そりゃそうだ。
保育園では徹底して教えてくださっているけれど、家ではあやふやになっていることもあることに気づかされた時、これくらいいいやと大人の都合で教えるのではなく、その子どもの将来を考えて、根気強く、教えてあげないといけないんだなと学ぶようになりました。
私自身、子どもだからと、自由にのびのびと育ってほしいと思い、大目に見ることが多かったのですが、
人の話をちゃんと聞くことや、していいことや悪いことを教えることって親が根気強く幼い時に教えてあげてこそ、身についていくものなんだなと学ぶようになりました。
親としてはかわいそうに思うことや楽をすれば、放ってみておくこともできますが、
練達を受ける子どもを見て、親が涙を我慢して、忍耐して教える時があるんだなと体験しました。
この先の人生で大きな実を結ぶ人になれるように。
心が作られることが本当に大きなことだということを聖書で教えてくださっています。
[そこで、種まきの譬を聞きなさい。だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
聖句:マタイによる福音書13章18節から23節
~牧師先生の御言葉より~
・いくらいい種でも、蒔いたときに実を結ぶことができます。いくらいい御言葉があっても、時代の御言葉を、種を蒔かなければなりません。誰でも渇いて荒れている自分の心に肥料を与えて、手入れをして肥沃な畑に作ったときにいい畑になります。ただではできません。そのあとで種を蒔くべきです。そうしたときにいい実を刈り取ることができます。
まず「自分の心を削って作りなさい」。作るとき、自分がすべきこともありますが、神様の御言葉でできます。神様の御言葉を信じて、聞き従って生きるときに、その心が、心の畑が完全に変わります。渇いてよくない畑にいい種をいくら蒔いても、いい実を刈り取ることはできません。
・年齢が上になれば、いいものになるのではないのです。年齢さえ上だったら、いい畑だということではありません。幼くても、育てなさい。
土台って大事ですよね。
人が生きる上で、自分の心が崩れると、倒れてしまいます。
いい苗だとしても、土が太陽に当たらなくていつも湿っていたり、水やりが不足すると
実がならなかったり、枯れてしまったりします。
キリスト教福音宣教会の御言葉ではいつもイエス様に学んだ先生が
生きるために必要な御言葉をいつも教えてくださいます(*^-^*)
心がよく育ちますように✨